体育における体力概念の原理的研究

                        体育における体力概念の原理的研究



                                       埼玉県立戸田高等学校   安 藤 尚 弘

1 はじめに
   近年の児童・生徒の体力の低下傾向は、それを指摘する声が強くなっており、実際の指導において、体力の向上が強調されているものの、子どもたちの体力が向上しているとは言えない。体力向上の課題を解決するために、学習指導要領に示された体力の説明や体力づくりの解説書などに書いてある内容について参考にして、体力の捉え方や体力づくりについて考察を行うことにより、以下に示す疑問がおこった。
   「学習指導要領に示された体力の要素によって、体力を捉えることが妥当であるのか。また、生涯体育・スポーツの立場からみて、体力の向上を図ることと、生涯にわたってスポーツに親しむことができる能力とはどのように関係しているのであろうか。」
   本研究では、この疑問を明らかにするため、体育授業において体力はどのように捉えられており、どのような指導を行うことが必要であるのかについて考究していくことを目的とした。

2 研究の方法と内容
   本研究は文献研究を中心に進められた。まず体力論とその経緯について検討した。
   体力を端的に説明すれば「身体の諸能力の総体」ということができる。体力の捉え方について考察を進めるにあたり、身体をどのように捉えているかが問題となる。そのため、身体の捉え方について、体育学、哲学および認知科学の文献について批判的検討を行った。さらに、体育学における現象学的方法を検討し、その方法に基づいて身体や体力についての考察した。そこから得られた内容を基に学校体育において体力をどのように捉えるのかについての検討を行い、体力づくりを授業においてどのように行うかについての方法を考察した。

3 先行研究の検討
  1.学校体育における体力観
   これまでの学校体育における体力の捉え方について検討した。戦前においては、国策によって国力・軍事力として捉えられ、戦後においては、一時期体育の目標から「体力」の語が消えていた。しかし、1960年代の高度経済成長や東京オリンピックなどの影響により、労働力や競技力の向上が求められるようになり、学校体育の目標において、体力向上が強調されることとなった。体力の捉え方は戦前・戦後を通して、その基盤は運動生理学の研究成果に基づいており、体力を筋力・持久力・調整力などの諸要素に分けて考えている。その考え方により体力の向上とは、それぞれの要素を個別に高めていくことであると理解されている。しかし、このような捉え方によって体力を捉えているため、現行の学習指導要領の目的である「生涯を通じて継続的に運動ができる能力と態度」には直接的に結びつかないものとなっている。
  2.体力論の概観
   これまで体力論は、運動生理学の研究成果を基に論じられており、体育学の諸領域、体育・スポーツの実践に関わる分野において、科学的な体力の捉え方が中心であった。運動生理学の分野における体力論の代表的なものは、猪飼の「体力とは人間の生存と活動の基礎をなす身体的、および精神的能力である」とする考え方である。しかし、実際に体力をどう捉えているかといえば、体力テストや学習指導要領にも見られるように、体力を各要素(筋力・持久力・調整力など)に分けて考えている。スポーツの実践においては、体力を競技力として捉えている。
   諸外国における体力の捉え方も、体力の各要素によって体力測定を行うことは同様であった。欧米諸国の体育では、体力の各要素を個々に高めていくことではなく、運動の楽しさをより深く味わうことを通して体力の向上を図ることを目指していた。
  3.身体論の概観
   体育学における身体論は次の二つの事柄に要約される。すなわち、①おのおの体験に照らしたからだの説明と、②哲学の身体論の紹介である。これまでは、この二つの考え方を整合的に説明されていない。最近の研究では、「身体運動を可能にしている身体」を解明する試みが行われている。しかし、体育学独自の身体論が確立することができていないのが現状である。
   また、体育学が基盤にしている哲学における身体論は、伝統的な心身二元論の克服が課題であり、心身関係の解明が中心となっていた。現象学者の一部は、主体としての身体に焦点を当てた研究を行っている。しかし、現象学の身体論は体育の指導者に十分理解され、指導に生かされているとは言えない。

4 現象学的方法
   これまでの身体論および体力の捉え方においては、主体からの考察が不十分であった。これまで体育学においては、現象学的方法が浸透しているとは言えない。瀧沢は、フッサールの論述やフッサールの現象学について述べられた文献の検討を行い、体育学における現象学的方法を考究している。彼は、その方法として、①判断中止、②意識作用と意識対象、③地平、④現象学的反省と現象学的記述、⑤形相的還元の5つの事項を明示し、「身体運動を可能にしている身体」について考究している。
   この現象学的方法を身体および体力の考察に適用して、主体としての身体を捉えなおし、その主体としての身体から体力の考察を試みた。

5 主体としての身体
   身体はこれまで対象化して捉えられてきた。しかし、その身体にはさまざまなはたらきを可能にしている構造を内にもつことが明らかにされている。市川は、「ホメオスタシスをはじめとする向性的構造に基づけられ、志向的構造が生成し、具体的な身体のはたらきが可能となっている」ことを論じている。これらの構造のはたらきを統合し、われわれの身体運動を可能にしているのが、この身体のはたらきであることが理解できた。われわれは身体の志向性を、さまざまな行動としてあらわしているのであり、主体的な行動はこの身体の志向性に基づいて行われていることになる。

6 学校体育のおける体力
   以上の検討をふまえて、体育の授業において、身体の志向性を伸ばすための指導を考察した。学習指導要領では、保健体育科の目標において「たくましい行動力をもつ身体の育成」が目指されすことが示されている。これは、運動のもつ特性により深く触れ、運動の継続的な実践によって図られるものであると述べられている。しかし、これまでの体力向上の取り組みにおいて、この点の配慮が欠けていたことが指摘できる。
   子どもたちが運動やスポーツを積極的に行っている場合、主体性や志向性の現れを見ることができる。サッカーに興じている子どもたちは、サッカーのもつ楽しさに味わい、その特性に深く触れることによって、サッカーの世界へと深く没入していくことになる。そしてからだを丸ごと使う活発な身体運動を行うことにより、筋力や持久力の向上とともに、スポーツをますます好きになり、主体的にその世界へ関わろうとする能力や態度が高まることが期待できる。
   主体的行動力とは、このようにスポーツを楽しもうとする能力や態度であり、体力の向上とは、この主体的行動力を高めることであると捉えられる。
   体育の授業においては、子供達の志向性を考慮した指導を行うために、指導者が子どもたちと共感・共振できる態度で授業を行うことが望まれる。

7 結語
   学校体育においては、体力をスポーツに積極的に関わる能力や態度である「主体的行動力」として捉え、子どもたちの身体の志向性を考慮した指導を行わなければならないことが理解できた。実際の指導においては、次の5つの点に留意することが重要である。①運動もつの楽しさを十分に味わわせること。②活動量を十分に保証すること。③全面的な身体運動となること。④主体性・志向性を尊重すること。⑤指導者が子どもとともに考える授業であること。これらの点に留意した授業を行うことによって、主体的行動力としての「生きた体力」の向上が図れるものと思われる。
   本研究では、原理的な面を中心に考察を行った。今後は授業を通して、子どもたちの体力づくりの実践を行い、研究をさらに深めていきたい。

8 主要参考文献
 猪飼道夫、『運動生理学入門』、杏林書院、1969年
 市川浩、『精神としての身体』、勁草書房、1975年
 瀧沢文雄、『「【身体】の論理」研究』、筑波大学博士論文、1993年

9 おわりに
   研修を終えるにあたり、ご指導していただきました上越教育大学の加藤泰樹助教授をはじめ関係の諸先生方に心からお礼申し上げます。また、2年間という貴重な研修の機会を与えてくださった埼玉県教育委員会、ならびに戸田高等学校の先生方に深く感謝申し上げます。

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